歴史・文化施設

松下美術館

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海辺の町を見下ろすように小高い丘に建つ「松下美術館」。 海外の名画、郷土ゆかりの作家の作品、日本の掛け軸や屏風絵、エジプトなど中近東の出土品など、その収蔵品は豊富で多彩。地元の人々や美術愛好家の人々の憩いの場として親しまれています。...

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和気神社

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和気清麻呂は、神護景雲3(769)年、宇佐八幡宮神託事件によって当時の権力者である道鏡によって大隅国に配流されたものの、後に中央政界に復帰し活躍した人物。島津斉彬の命を受けた八田友紀によってこの地が和気清麻呂公にゆかりのある地であるとされた。坂本龍馬がこの地域を訪れたときには、まだ神社はなかった。...

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野上神社

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もともと霧島神宮への参道の途中に位置していたことから、霧島の噴火による火災の際にはとなった由緒のある神社。...

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福山藩営馬牧跡

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天正8(1580)年、島津義久によって設置された「福山牧」。その範囲は周囲40キロに及ぶ大規模なもので、江戸時代に入った最盛期には、2500頭以上の馬が飼育されることになる。安永8(1779)年の桜島の大爆発の際には、かなりの被害を被ったが、その後復興、文久3(1863)年まで継続された。現在周辺地域は、牧之原と呼ばれているが、その地名はこの福山牧に由来するものである。...

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福山港跡

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福山は、江戸時代、米の産地である都城や物産豊かな大隅半島からの輸送基地として港が整備され、豪商が割拠する経済上の重要拠点だった。また、歴代の地頭も島津家の家老級が着任しており、薩摩藩の財政を立て直した調所広郷もこの港の重要性に着目し、港の整備を命じたといわれる。その名残は現在の港にもみられ、岩永三五郎が関わったともいわれている。...

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舞鶴城跡

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御内(おさと)・御内屋敷とも。慶長3(1898)年、島津義弘が築き、ここで隠居生活を送った。御屋形跡は現在国分小学校、県立国分高校になっている。周辺は縦横に整然と区画されたまち並みが広がり、その区画は現在のまちに受け継がれている。...

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蛭児神社

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蛭児神社周辺はなげきの杜と呼ばれている。イザナギノミコトの子どもである蛭児神が、天盤樟船に乗って漂着したのがここと伝えられる。...

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鼻んす

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用水路を通すために丘に開けられた二連アーチ型の随道。形が鼻の穴に似ていることから地元の人からは「鼻んす」(鹿児島弁で鼻の穴のこと)と呼ばれている。造られたのは正徳元年から6年(1711~1716)年にかけての頃。二連にすることでくずれるのを防いでおり、江戸時代の土木技術を知る上で貴重なもの。...

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銅田駅跡

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昭和47(1972)年に志布志駅から国分駅まで全線開通した大隅線。大隅方面からの通学・通勤列車としても重要な役割を担っていたが、マイカーの普及などにより昭和62(1987)年に廃止となった。その駅のひとつが銅田駅で、現在駅跡には貨車や案内板が並んでいて当時を偲ばせてくれる。...

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池田氏住宅及び石倉

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明治末期に建てられたという池田氏住宅は、住宅の二階部分は外観が洋風、内部は和室という擬洋風の珍しいつくりです。...

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